事故りますた。(ノ∀`)アチャー

チャリ(ロードバイク)で事故りますたんで、今後お仲間になる方(縁起でもない)に向けて備忘録でも残しておこうと思う。あと、まだ事故ってないしこれからも事故る予定は無いよ、ってライダーにも笑い話のネタにでも目を通しておいて貰ったらいいなーと思う。

とりあえず入院中の事については、入院11日目あたりから記録をつけ始めたので事故当日からそこまでの記録が無い。そのへんはこのエントリで補完しておこうと思う。

事故直後

まず事が起きたのは6/26の20:00頃。同僚と翌日の約束をして多摩サイ途中で別れ、一般道を帰宅途中に自損事故を起こした(らしい)。らしい、というのは逆行性健忘とやらで、全く何も覚えていないからである。

自身の記憶はサイクリングロードを外れた直後あたりで途切れていて、気付くと10人前後の人に囲まれているところから続きが始まっている。

「これは縫わないと駄目だな」

という声が聞こえて、突然後頭部に鋭い痛みが走る。

「うわいてぇっ!」

と声を上げると、どうやら後頭部を縫合していたらしい医師から

「じゃあ麻酔しましょう」

と返答があって、チクっとした痛みのあと鋭い痛みはなくなった。どうやら記憶する機能が回復したのはこの辺からだが、そのだいぶ前から会話したり何かのやり取りは出来ていたらしい。何も覚えていないことを言うと、

あなたは自転車で自損事故を起こして救急車でこの病院に運ばれてきた。ここは救急医療センターの救急救命室で、あなたはそこそこの重症だからご家族を呼んだ。ご兄弟が向かっていて、朝には到着するだろう。症状をざっくり言えば頭蓋骨骨折、鎖骨・肩甲骨・肋骨などを骨折している。入院となるが、手術が必要となるかどうかはまだ何とも言えない。

というような事を言われたような気がする。ダメージがデカ過ぎて朦朧としていたのか(その間も色々処置していて貰ったっぽい)、気付くと数時間が経っていて兄弟が到着していた。改めて症状の説明。

頭部に激しい衝撃を受けたため、側頭骨骨折とともにくも膜下出血を起こしています。ただ、くも膜下出血といってもこういった衝撃で起こった場合は保存療法で、つまり安静にしていれば回復すると思います。

また内耳のあたりまで損傷しているため、平衡感覚や聴覚にも相当のダメージが考えられます。

右肩にもいくつかの損傷があります。鎖骨・肩甲骨・肋骨などを骨折しています。現時点ではすべての損傷箇所に手術の必要があるとは考えていません。

なんつーことを言われたっぽい。とりあえず兄弟は入院に必要な身の回りのものを用意してくれて、手術もいらねっつーんで一先ずは安心して帰っていった。

やっぱり手術しなきゃだったわw

翌朝、とりあえず完全寝たきりではあるもののメシは用意してくれたので食えそうなものから手を出してみる。食ってるうちにはたと気がついた。味がしないのである。回診に来た先生にそれを言うとおや。と思案ののちに造影剤やらを注入されてMRIやらCTやらレントゲンやらを引っ張り回され、

「側頭骨骨折によって神経が巻き込まれ麻痺症状が出ています。また硬膜が破れてリンパ液が漏出してるため、手術が必要です。まずはくも膜下出血が治まるのを待つ必要があるので、手術は6日後にしましょう」

てなことになった。 おっと手術は要らんのじゃなかったのかよ、と思ったが寝たきりまでいくレベルのダメージを負った身としては、最早医者が言う通りにする他ないのでなすがまま、である。

頭部の手術は念の為、というか平たく言えば万が一もあり得るから家族に来てもらってね、という事になった。こういう事態になると平静でいられないのはやっぱり家族を始めとする周囲である。自身としてはこうなっちまってはもうなるようにしかならんってとこなので、妙に落ち着いたもんであった。

手術までは完全寝たきりで、食事や歯磨きは気が向いた看護師さんに当たれば介助してもらえるが、お忙しい看護師さんたちは直ちに死にそうでもない患者は基本放置である。はじめての入院なのでこれが劣悪なのか普通なのかは判じ兼ねるが、まぁ納得できるもんかなーとは思ったところである。

後日判明したことであるが、自分では覚えていないものの事故って担ぎ込まれた直後、スマートフォンで会社の連中に仕事にいけなくなった旨を連絡して、月末の家賃やら何やらの支払いも済ませていたらしい。記憶が無いってのはおっかねぇもんだなーとしみじみ思う。

さて手術当日。お袋と姉貴が来てくれたが、今回の手術は5時間前後って言ってたし随分待たせてすまねえなあと思う。盛んに

「手術頑張って」

と応援をいただくのだが、頑張るのは医者でこっちは寝てるだけだからなァ、などと思うがまさかそうは言えないのでありがたく応援を頂戴した。

手術室では5人以上のスタッフがいて、おおたくさんの人が参加してくれるんだなあ、ありがてえなどと思っていた。全身麻酔も初めての経験で、よく医療ドラマなんかで見る

「3つ数える間に眠くなりますよー、1つ…2つ…」

なんてのはいつ始まるんだ?と思っていたらいつの間にやら病室である。なんの予告もなしに麻酔導入され、何も気付かないまま手術は終わっていたようだ。ちょっとくらい言ってくれてもよくない…?朦朧とした感覚は続くがかけられた布団が暑くて暑くて不快だったのを、しゃべることが出来ないのに気付いて退けてくれたお袋はさすが親だな、と思った次第。

担当医は

手術は成功しました。神経細胞に損傷もないことが確認出来ましたが、回復するかどうかはわかりません。今後の様子を見ていくことになります。

なんてなことを言って行った。忙しい間を縫って二度も来てくれた姉貴は安心するととっとと帰っていった。お袋は手術後の翌日まで様子見して帰っていった。

入院みたいなことになると、肉親が遠距離にいることがとてもビハインドになるもんだな、と同時に迷惑かけるなあと実感したのであった。

術後〜入院11日目まで

手術の翌日から、硬膜のリンパ液漏出チェックとやらで、毎朝一番に硬い画用紙みたいなもんを鼻の奥に突っ込まれてグリグリされる拷問が始まった。どうやらリンパ液の漏出があればリトマス紙のように色でも変わる代物らしい。 朝イチでこの拷問を終えると担当医がやってきて、

「どうやらリンパ液の漏出は認められませんね。まずは15度、ベッドを上げてもOKにしましょう」

という。この憂鬱な拷問を終えれば晴れて毎日15度ずつベッドが起きていく、といった次第である。

ベッドが30度まで上がったところで大部屋へ移動となって、ひとまず危機は脱したということになったようだ。

入院11日目のエントリに続く

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